当初は、たとえ途中でも、6月一杯で終わらせようと考えていた缶詰の発掘でしたが、「希望の缶詰」をご購入いただいた皆様からの心温まる声援の数々に支えられ、最後の一缶まで、全てを掘り出そうと決めました。
地震による地盤沈下の影響で、大潮や台風が近づくたびに、工場周辺が冠水し、発掘作業を中断せざるを得ないことも度々ありました。
6月も半ばになると気温が高くなり、被災した業務用冷凍庫の中身が腐ってしまい、ものすごい悪臭に悩まされました。そして、悪臭の後には、蝿が大量発生…。見たこともない量の蝿に悩まされることになりました。発掘の途中の昼食は、大量の蝿のために外で食べることができず、霞のように群がる蝿に不安を覚えました。
そんな環境下ではありましたが、多くの方から「頑張ってください!」というメッセージを頂き、また累計500名を超えるたくさんのボランティアの方のご協力にも励まされながら、7月一杯で被災した缶詰倉庫の中にあった数十万缶を全て掘り出すことができました。本当にありがとうございました。
缶詰倉庫の床や壁が、震災後約4ヶ月ぶりに見えたときには本当に感無量でした。
倉庫の壁は、津波の圧力で歪んでいましたが、この壁が津波に耐えてくれたからこそ、震災後に社員みんなで缶詰の発掘という仕事ができたことを思うと、この倉庫に感謝の気持ちがこみ上げてきて、しばらくの間、みんなで倉庫の壁を見つめていました。
缶詰の発掘作業は終わりました。これから、掘り出したものを全て洗い切り、応援してくださる皆様のもとへとお届けさせていただければと思います。
一方で、私ども、木の屋石巻水産の再建を考えると、発掘した缶詰をお届けすることは「復興」の始まりに過ぎません。
石巻で水揚げされた、新鮮な海の幸を、私たちの技術で美味しい缶詰に加工し、皆様のもとへお届けすることができてはじめて、私どもの真の復興だと思っております。
しかし、当然のことながら、まだ工場の再建の目処は立っていません。工場跡に新工場を建てることが可能なのか、行政からもまだ判断が出ていない状況です。
発掘した缶詰がなくなれば、私たちにはもう何も販売できるものは残っていません。それでも私たちは立ち止まっているわけにはいかないのです。
「これからどうするべきか」、先が見えなくなった時もありましたが、皆様から頂戴した応援のメッセージを手に考え続け、改めて気付いたことがあります。それは、私たちには、応援してくれるたくさんの方々と、共に歩む仲間がいる。これこそが何よりも貴重な財産なのだということです。
応援してくれる方々のため、共に歩む仲間たちのため、もう一度缶詰を作ろう!
そうした想いを胸に、缶詰の製造工場を探し、また「希望の缶詰」を通じて、皆様から頂戴した資金を元に、鯨を2頭仕入れさせていただきました。
こうしてついに、私どもの原点であり、創業から50年、変えることのなかった「鯨の大和煮」の味を、岩手県の協力工場を通して、再現することができたのです。
この缶詰は、「希望の缶詰」を通じて応援下さった皆様、今までお世話になったボランティアの皆様、その他数々のご支援を下さった皆様、本当に多くの方々のおかげで作ることができました。本当にありがとうございます。
皆様への感謝の気持ちを込めて、この缶詰は、「感謝の缶詰」と名付けました。
今後も、工場再建の目処が立つまでは、協力工場の助力のもと、私たちの培ってきた技術を使い、「美味しい缶詰」を皆様にお届けすることが出来ればと考えております。
是非引き続き私たちを応援してくださいますようお願い申し上げます。