宮城県石巻市 木ノ屋石巻水産「希望の缶詰」

震災後の大津波が襲った石巻。
救援物資が届くまでの数日間、多くの人々を救った「缶詰」がありました。
それは、震災前、数多くのメディアでも取り上げられた、石巻自慢の海の幸が詰まった「笑顔がこぼれる美味」。
石巻の漁業が復活するまで、もうこの「缶詰」を作ることは出来ません。
残された「缶詰」で作る復興への第一歩。この「缶詰」で石巻を復興させたい!

宮城県石巻市、三陸の豊富な海の幸に支えられ、石巻港は2010年漁業の水揚げ高全国第3位という、
日本でも有数の漁業・水産加工業の盛んな港町でした。

3月11日、宮城県沖で発生した大地震は、巨大な津波と共に、そんな港町を一瞬のうちに飲み込んでいきました。
地震発生の30分後には、津波の第一波が到達し、瞬く間に沿岸の町のほぼ全てが波に飲まれました。

木造の建物のほとんどは津波の破壊力を前に瓦礫と化していき、
避難所となっていたコンクリート造りの小中学校の建物も2階まで水没しました。

津波により、石巻では60,000台近い数の車が海に引き込まれ、車の中に閉じ込められた尊い命が犠牲になりました。

津波が引くまで丸2日間は、避難所から出ることも出来ず、食料もなく、不安な夜を過ごしました。

携帯電話の基地局が被災したのか、携帯電話も通じることはなく、外部との連絡も断たれ、
先の見えない、本当に絶望感を味わったものです。

避難所に初めて自衛隊の救助が来たのは、地震が起こってから、2日後のことでした。

津波が引いた後の石巻の町並みは、全く意味のわからない状況でした。

逆さになって民家に突っ込んでいる大型トラック、あるはずのないところに乗り上げている大型船、
自宅のあったはずの場所には基礎のコンクリートしか残っていませんでした。

震災から2ヶ月以上経った今でも、津波に流されたご遺体が見つからず、愛する人を探して沿岸沿いを歩いている人を見かけます。

私たち、木の屋石巻水産は、石巻で、「鯨の大和煮」からスタートをし、
三陸沖の旬の海の幸を缶詰に加工する水産加工業を営んでおります。

海の見える石巻港に会社と製造工場がありました。

津波により工場は流されて跡形もなく、本社も瓦礫が詰まり、使える状態ではなくなりました。

石巻港のシンボルマークでもあった弊社の「巨大鯨大和煮缶詰」は、20t以上の重油が入っていたにもかかわらず、
元にあった場所から300mほど流された場所に転がっていました。

津波で流されてしまった本社、工場、倉庫を見たときは、言葉を失いました。これまで培ってきたものが、
ほんの一瞬でゼロになってしまったのです。



しかし、
工場の瓦礫を片付けている時に、瓦礫の下に大量の缶詰が埋まっていることに気づきました。

津波から離れて避難所にいる時、まだ支援物資も充分に行き届かない中、津波で流れてきた私たちの缶詰を食べて、
多くの方が元気を取り戻してくれました。

津波によって、どこともしれず流されたと思っていた私たちの缶詰が、
実はその多くが工場跡に堆積した瓦礫や泥の中に残っていたのです。

避難所で元気をくれた「缶詰」、
この缶詰を発掘し、一人でも多くの方にお買い上げいただくことが出来れば、
石巻復興のための資金を自分たちで集めることが出来るかもしれない!

その日から、私たちは社員全員で、そしてボランティアの方々にも多大なるご協力をいただきながら、缶詰の発掘を始めました。



震災後、発掘した缶詰を持って、千葉県、鳥取県などの道の駅でお客様に販売をさせていただきました。
津波の影響で、包装は剥がれ、普段であればとても商品とはいえない、裸の缶の状態です。
それでも、本当に多くの皆様に、温かい言葉をかけていただき、購入していただくことが出来ました。
心からの感謝の気持ちを胸に刻み、復興への意思をさらに固めています。



この「発掘缶」には、
・震災の記憶から立ち直り、前を向いて歩きたいという石巻の人々の想い
・工場はなくなってしまったけど、一歩ずつ、少しずつでも復興を進めていきたいという私たち社員全員の想い
が詰まっています。

この缶詰を購入いただいたお客様に、約束をさせてください。

私たちは必ず、復興します!
だから、この缶詰の味を決して忘れないでください。
石巻の漁業が復活するまで、この缶詰はもう作ることが出来ません。

まだ数年はかかるとは思います。
でも、石巻の漁業と私たちの復興、その2つが揃ったとき、
必ずまた皆様に美味しい三陸の海の幸の缶詰をお届けさせていただきます!
その日まで、是非引き続き私たちを応援してくださいますようお願い申し上げます。



■皆様の支援で震災後新たに製造した「感謝の缶詰」はこちら■

「希望の缶詰」のご紹介
金華さばみそ煮



毎年秋、9月~11月下旬にかけて石巻港で水揚げされる大型のさば(金華さば)だけを使用した、こだわりの一級品。
朝、石巻港で水揚げされたさばを新鮮な生の状態のまま缶に手詰めします。

味付けに使用する原料も、地元「高砂長寿味噌本舗」の味噌と、やわらかな甘さを生み出す喜界島の粗糖に厳選しております。
生原料を使用することで、魚の旨みや栄養分が逃げることがなく、味もぎっしりしみ込みます。

余計なものを一切使わず、自然の恵みによって生まれた本格商品、木の屋を代表する商品です。

残ったタレは、白飯にかけてお召し上がりください。

金華さば水煮



毎年秋、9月~11月下旬にかけて石巻港で水揚げされる大型のさば(金華さば)だけを使用した、こだわりの一級品。
朝、石巻港で水揚げされたその日のうちに、新鮮な生の状態のまま缶に手詰めします。

原材料は「さば」と「食塩」のみ、保存料などその他余計なものは一切使用しておりません。

金華さばシリーズの中でも、水煮に使用するさばは、その中でも選りすぐった良品のみを使用しております。

さば本来の味を楽しみたい方はこちらをお選びください。また、いろいろな料理の用途がございます。

余計なものを一切使わず、自然の恵みによって生まれた本格商品、木の屋を代表する商品です。

現地の最新情報(2011年5月15日現在)

~ 現在の復興状況 ~

本社は瓦礫の山ですが、まだまだ缶詰は眠っています!なんとか6月末までには拾い切るよう頑張りたいです!!

~ 今後の見通し ~

自社工場の復旧には、まだ1年以上の長い年月がかかりますが、生産再開に向けて、製造機械の修理の手配を開始しています!
石巻港の漁業の再開にはまだ時間がかかりますが、
原料調達の可能な、私たちの原点でもある「鯨缶詰」については、今年7月を目標に、協力工場での製造を目指して、
現在準備を進めています!
商品完成まで、今しばらくお待ちください!

震災前の様子



震災後の様子


㊧1階に直売所、2階に事務所があった社屋。外側はしっかり残っていますが、震災直後は中に入ることさえできませんでした。
㊨工場の横に建っていたシンボルマークの赤い缶詰タンク。1,000トンの魚油を貯蔵できる巨大なタンクも、
波に流され約300m先まで流されていました。

【5月7日】 本社にて缶詰拾いを行っている様子

ボランティアの方々のご協力もいただき、缶詰拾いを行いました。
大変助かりました、とても励みになります!



【5月8日】 千葉「富楽里とみやま」道の駅での販売の様子

千葉「富楽里とみやま」道の駅にて、缶詰販売を行わせていただきました。
GW最終日だったこともあり、たくさんのお客様がご来場になり、合計で約1,700缶をお届けすることができました!!
「石巻からわざわざ来たの!?御苦労さま!!」
「たいへんだけどがんばってね。」
と、皆様から励ましのお言葉までいただきました。本当にありがとうございます。
この機会をいただけました、道の駅「富楽里とみやま」のみなさまに心から感謝申し上げます。