東日本大震災に伴う大津波により、町が丸ごと海に飲み込まれた女川町では、
生き残った人たちは、身ひとつで逃げ出し、会社・自宅など、全てを失った人が少なくありません。
しかし、自衛隊の皆さんや、ボランティアの方々、そして全国の応援してくださる皆様のおかげで、
今出来ることに集中して、復興を頑張っている企業がたくさんいます。
私たち、マルキチ阿部商店も、津波で工場と自宅が全て流されましたが多くの人たちのご支援のおかげで、
2011年7月の半ばには、石巻で製造場所を間借りし、「さんまの昆布巻き」の製造を再開することができました。
本当に多くのお客様にお買い上げ頂くことができ、作っては完売、作っては完売、という状態が続きました。
復興を目指す私たちにとって、これ以上ない、大変嬉しい悲鳴となりました。
一方で、震災前のような、専用工場ではないため、製造数には限界があり、一週間に1,000本の昆布巻を製造するのが限界でした。
せっかくご注文いただいたにも関わらず、なかなか商品をお送りできず、お客様をお待たせしてしまう、
ということも、しばしばあり、もっと計画的に生産出来る場所を探すことにしました。
そんな折、私の同級生で、同じ女川で復興に励む「高政蒲鉾」さんの社長の息子さんから、
「工場を新築するから、空いた場所に入ってもらって、一緒に女川の復興を目指そうよ!」という、話を頂きました。
「高政蒲鉾」さんは、今回の震災で奇跡的に津波の来なかった「万石浦」という地域に位置しており、
地盤沈下によって、毎日のように冠水していますが、周囲の企業ほどの直接的な被害は少なかったそうです。
地元女川を愛する気持ちが非常に強く、
「被害の少なかった自分たちが、女川の他の水産加工会社の再建のためにも、
リーダーシップを取っていかなければならない」と、使命感を持って、いろいろと尽力して下さっています。
例えば、人口流出を防ぐため、2012年内には、高政蒲鉾さんだけで100名の追加雇用を予定しています。
100名の雇用をすることで、定住する人が増え、その家族たちも女川に移り住むことによって、
女川の再建に結び付けたい、という計画だそうです。
これから、女川が復興していく際に、働く人がいないようでは復興も進んで行きません。
そのために、高政蒲鉾さんが、今から率先して動いてくれているのです。
毎日の冠水、、、軽微な被害なわけがありません。
震災後の苦しい状況は高政蒲鉾さんも変わらないはずです。
それにも関わらず、一企業でありながら、こういった努力をしてくれることに、本当に感謝しています。
2011年11月頃、高政蒲鉾さんの空きスペースに入らせていただくことができました。
昆布巻きの製造に必要な機材関係も順々に揃えていき、たくさんの注文にも対応できるよう、整備を進めていきました。
今では、1週間で2,000本もの昆布巻きが作れるようになりました。
それでも、作ったら完売で、在庫ができない状態です。皆様からのご支援・応援に心から感謝をしています。
三陸沿岸部では、2012年のゴールデンウィークの頃に発生した豪雨によって、海藻関係が大きなダメージを受けました。
通常は海水であるはずのところに、大量の真水が流れ込んで、汽水となってしまい、
わかめや昆布、ふのりなどの多くが、腐って死滅してしまったのです。
私たちの昆布巻きに必要な昆布も、現在非常に相場が高くなっており、入手が困難になってきています。
そういったこともあり、昆布巻きの生産に加え、震災前から作っていた「佃煮」の製造も本格的に再開をしました。
さんまやほたて、小女子などを使った「佃煮」は、
震災前に多くのお客様に評価を頂いておりましたので、製造再開できたことは非常に嬉しく思っています。
たとえ昆布が無くなってしまったとしても、現在の自分たちにできることを見つけて取り組み、
応援してくださる皆様に、私たちの自慢の味をお届けしていこうと思います。
今後も復興を進めていき、いつかは自社工場を再建させたいと思っています。
まだ女川町は再建の素案がようやく出てきた状態ですが、
どうやら生き残った企業たちの大半が、元の場所で工場再建を目指すことになりそうです。
まだまだ時間がかかりそうですが、たくさんの応援を糧に、できることを精一杯頑張って行きます。
引き続き、応援のほど宜しくお願い致します。