皆さんは、「石巻焼きそば」をご存じでしょうか。
昨年は、ご当地グルメの祭典にも出展をした、「茶色い麺」が特徴のご当地焼きそばの一つです。
石巻では「焼きそばの麺=茶色い麺」が一般的で、
そんな“全国的には珍しい”ご当地グルメを使って、地元の人たちと一緒に町興しをし、石巻を盛り上げようと、
地元の有志メンバーと、2008年「石巻茶色い焼きそばアカデミー」を立ち上げました。
多くの飲食店の方々にもご賛同をいただき、「石巻焼きそば」は、徐々にその知名度を増していきました。
「石巻焼きそばで石巻を盛り上げよう」と様々な活動を行ってきて、
さぁ、いよいよこれからだ!と思っていた矢先、あの大震災が起こりました。
震災当時、私は営業先から会社へ戻戻る途中でした。
本社工場は石巻港から500mほどしか離れておらず、車のラジオで6mの津波が迫っていることを知り、
工場に残っていた全ての社員を帰し、私自身も、そのまま高台のほうへ避難をしました。
避難をして3日後、ようやく会社まで戻ることが出来ました。
そして、そのとき初めて、津波により、自分の会社と工場がなくなってしまったことを知りました。
周辺よりも低地に位置していたため、津波の直撃を真正面に受け、完全に壊滅していました。
工場内の設備は全て流され、製造現場の鉄骨や屋根が津波の力で押し潰されていました。
地震から最初の1ヶ月は、とにかく生きるのに必死でした。
会社も工場も無くなってしまったのは大きなショックでしたが、今後のことを考える余裕などありませんでした。
社員全員の安否を確認し、食料や水などの確保をし、とにかく必死でした。
1ヶ月を過ぎた頃、ようやく会社を今後どうするか考えることができました。
工場も設備も完全になくなり、生産が出来ない状態です。社員も一旦解雇せざるを得ませんでした。
そんな折、これまでお世話になってきた取引先やお客様から、たくさんの連絡をいただくようになりました。
「麺はまだ出来ないの?」
「石巻やきそばを待っているから!」
「頑張って復興してください!」
不可能に思われた再建でしたが、
じっとしているわけにはいかない。まずできることから始めよう。
待ってくれている人たちのために、復活を決意しました。
設備がすべて流されてしまったので、震災前のように茹で麺も、生麺も、作るわけには行きません。
それでも、「できること」=「焼きそばの麺を作ること」と考えました。
石巻を盛り上げるために始めた「石巻焼きそば」。
まずは、それを復活させて石巻全体の復興に繋がっていけば、それ以上に嬉しいことはない。
実現まではとにかく突っ走りました。
工場の代わりとなる建物を探し、かつての従業員を呼び寄せました。
以前と同じ給料を払うことは出来ず、収入も半分以下になるだろう、
それでも一緒になって前に進んでくれる従業員が心の支えとなりました。
秋田、岩手、山形、宮城の同業者達が工場の再建を支えてくれました。
流されてしまった設備を調達するのを助けて頂き、麺箱や麺棒などの必要な道具も分けてもらいました。
被害の規模があまりに大きく、同じ場所で工場を再建するのは断念せざるを得なかったため、
場所を変え、プレハブで建物を作り、設備を整えました。
そして、6月18日、ついに製造を再開することができました。
それは、震災が発生してから、3ヶ月以上が経過した日の出来事でした。
今回の震災の津波の被害により、
「石巻焼きそば」を提供していた約50店舗の飲食店の半数以上が、現在も営業が出来ない状態となっています。
震災後、「石巻焼きそば」をお店で食べることがなかなか出来なくなってしまいました。
震災の残した傷跡は、すぐに回復出来るものではありませんが、私たち製麺会社や飲食店は、共に力を合わせ、必ずや復興します。
今は、本当に多くの皆様のご協力のもと、私たち自身全国各地に赴き、
この「石巻焼きそば」を少しでも多くの方に知っていただき、食べていただけるよう、取り組んでおります。
今後も、引き続きこうした活動に力を入れて参りたいと思っておりますが、
是非とも、皆様には石巻へ来て、本場「石巻焼きそば」をお召し上がりいただきたいと願っております。
石巻には、「石巻焼きそば」の他にも、美味しい海産物が本当にたくさんあります。
水産業に携わっている人々も、大変な被災をしていますが、全員不屈の闘志で復興に向けて頑張っております。
是非石巻にお越しの際は、そうした水産品も含めて、石巻をご堪能いただければ幸いです。